現在はボクシング解説者として活躍する山中慎介さんは、元WBC世界バンタム級王者。“神の左”と呼ばれる左ストレートを武器に、日本歴代2位となる12度のタイトル防衛を果たしました。世界戦でも9度のKO勝ちを記録した、強烈なパンチの秘密はどこにあるのか。スポーツドクターとしても名高い山手クリニックの服部幹彦先生との対談で、その一端を解き明かしていきます。
現在はボクシング解説者として活躍する山中慎介さんは、元WBC世界バンタム級王者。“神の左”と呼ばれる左ストレートを武器に、日本歴代2位となる12度のタイトル防衛を果たしました。世界戦でも9度のKO勝ちを記録した、強烈なパンチの秘密はどこにあるのか。スポーツドクターとしても名高い山手クリニックの服部幹彦先生との対談で、その一端を解き明かしていきます。
目次
山中 今日はよろしくお願い致します。私はしっかりと踏み込んでからのワンツー、左のストレートというのがボクサーとしての最大の武器でした。後ろ側に位置する左足で蹴って前方にステップしながら、軸になる右足でしっかりと止めつつ、地面を蹴った力をそのまま左の拳まで伝えるようなイメージで、パンチを打っていました。
服部 左のストレートの強さの秘密となると左腕がフォーカスされがちですが、山中さんの動きを見ると左を打ち出す力よりも、右側を引いてくる力、それによって体を回転させる力が際立っているなと感じました。今までに多くのアスリートを見てきましたが、9割以上の選手は左右のどちらかだけが得意というか、片方の軸で動いているのですが、山中選手は両輪を巧みに使えている。そこにパンチの強さの秘密があるのではないかと思います。別のスポーツをやっていた影響などがあるのではないかと思うのですが、思いあたることはおありですか?
山中 小学校から中学校まで、6年間野球をやっていたのですが、実は右投げ右打ちだったんです。それもあって、高校に入学してボクシングを始めたときは、オーソドックス(右構え)でやっていたのですが、当時の監督にサウスポーの方がバランスが良いから、そっちに変えろと言われまして。自分はずっと右で野球をやっていたし、自信もあったので、右に戻して練習したりもしたのですが(笑)、結局は監督の意見を聞き入れてサウスポーになったんです。
服部 元々は左利きだったのですか?
山中 そうですね。小さい頃は箸を持つのも文字を書くのも左でした。箸は右に変えられたのですが、サッカーでボールを蹴るときも右足を軸にして左で蹴るので、元々は左利きなのだと思います。でも、野球を右で長くやっていたこともあって、最初はボクシングも右構えのほうが自分の中ではやりやすかったんです。
服部 右投げ右打ちで長く野球をプレーされていたことは、山中さんの右側の引きの強さと速さに繋がっているのではないかと思います。
山中 私は、他の選手と比べてかなり肩を入れてパンチを打つタイプで、上半身を回旋させることは凄く意識していたのですが、確かに左を押し出す力と同時に右を引く力も重要になりますよね。
服部 山中さんの強烈な左のストレートを打つ動作、クロスモーションの土台となり安定させているのが、右側の大腰筋※の強さではないかと思います。今回MRIを撮らせて頂きましたが、一般の方と比べてかなり発達しています。
※体幹と脚をつなぐ筋肉
山中 引退してから7年以上経っていますけど、それでもですか?
服部 はい。かなり丸々としていて分厚いですね。もちろん左右ともに分厚いのですが、特に右側が発達しています。
山中 フィジカルトレーニングをするようになってから、さらに強いパンチが打てるようになったと思います。そして、世界チャンピオンになってからは、体幹のトレーニングにより意識的に取り組むようになりました。フォームが安定したのはもちろんなのですが、多少そこが崩れたり、ブレたり、流れてしまっても、最後まで拳に力を伝えられるようになったと思います。
服部 やはり体幹というのは非常に重要で、下半身で生んだパワーを拳まで伝えようとした際に、体幹が強くないと力が途中で逃げてしまいます。
山中 フィジカルトレーニングを始める前は、少しでもバランスが崩れると強いパンチが打てない感覚があったのですが、体幹のトレーニングによってどういう状況でも体重を乗せたパンチが打てるようになりました。
服部 左右の両輪で作るクロスモーション、クロスモーションの安定を支える骨盤周辺の筋肉の強さ、下半身が生んだ力を逃さずに拳に伝える体幹の強さに加えて、胸椎と肩甲骨周辺のしなやかさも山中さんの特徴だと思います。それが、ムチのようなしなやかさと伸びのあるパンチに繋がっているのではないでしょうか。あとは、肩関節を安定させる棘下筋の強さですね。パンチが相手に当たる瞬間、肩周りをグッと固めることで拳にしっかりとパワーを伝えることができるのだと思います。そして、鋭い踏み込みを支えている左脚のハムストリングス。これらが全て合わさって、“神の左”が生まれたのだと想像できます。
山中 確かに、パンチを当てる瞬間に肩を固めるイメージは持っていましたね。それにしても、練習や試合の動画とMRIを見るだけでそこまでわかるものなのですね。正直、驚いています。
服部 せっかくの機会ですから、山中さんの今の体の状態を、エコーも使いながら診てみましょう。改めて見ると、左の足底筋が凄く発達していますね。これも鋭い踏み込み動作を生む一因になっていたのだと思います。左の骨盤周辺に力を入れにくくなっているのと、右の肩周辺の柔軟性が低下しているのが気になりますね。そして、その原因は左のハムストリングスにありそうです。ハムストリングスの筋膜が癒着して滑走不全を起こし、そこが突っ張って動かない分を内転筋や腰周りの筋肉が代償しているようですね。左側の骨盤周辺の動きが悪くなっていることが、胸椎を通じて右の肩甲骨周辺の動きの悪さにも繋がっています。
山中 現役晩年、踏み込み幅が段々と狭くなっていったんです。ステップして踏み込む際、起点になるのは左足の母指球なのですが、練習やスパーリングを重ねていくと、試合の1か月前くらいに母指球の分厚い皮がめくれるんです。それがある種のバロメーターで、しっかりと床を蹴れている証拠だという感覚があったのですが、10度目の世界タイトルの防衛戦の前から、皮がめくれなくなりました。踏み込み幅が狭くなったことで、相手との距離が近くなってしまい、それまでのような自分の距離で戦えなくなってしまったんです。自分自身は足裏に原因があると思っていて、もっと強く蹴ろう、もっと強く蹴ろうと意識してトレーニングに励んでいたのですが上手くいかず。年齢によるものと、戦い続けてきた勤続疲労のようなものなのかなと思っていたのですが、それも左のハムストリングスに原因があった可能性があるということなのでしょうか。
服部 ハムストリングスが滑走不全を起こした原因は、オーバーユースによるものでしょう。力が入らない、今までのようなパワーが出ないとなったとき、イコール筋力低下だと思われがちなのですが、実はそうではありません。オーバーユースによる筋膜の癒着にパワー低下の原因があった場合は、トレーニングが逆効果になってしまうことがあり、ケガのリスクも上がってしまいます。治療によってハムストリングスの状態が改善されたら、動きの連動がスムーズになることが実感して頂けると思うので、少しやってみましょう。アスリートの方には、ハイドロリリース注射を活用することも多いのですが、今はそこまで必要ないと思いますので、衝撃波を利用して、左のハムストリングスと腰回りをほぐしてみましょう。
(治療後)いかがでしょうか。
山中 腰回りのスムーズさが全く違いますね! 動き過ぎるぐらい動いています(笑) 今日はたった10分ぐらいの治療でしたけど、ここまでよくなるものかと驚きました。現役のときに受けたかったというのが本音です。そうすれば、もう少し防衛できたかもしれないですね(笑) それは無理な願いですが、ゴルフの方に活かしていきたいと思います。体の動きに悩みが出てきたときは相談させてください。服部先生、本日はありがとうございました。
山手クリニック 理事長
服部 幹彦 医師
日本整形外科学会専門医
日本スポーツ協会公認スポーツドクター
日本オリンピック委員会 医学強化スタッフ
トップアスリートへのサポート実績
オリンピック代表チーム(女子ソフトボール・アイスホッケー)
Jリーグ町田ゼルビア 他多数の強豪大学・実業団チーム
山中慎介(やまなか・しんすけ)
1982年滋賀県生まれ。元WBC世界バンタム級チャンピオンの辰吉丈一郎氏が巻いていたベルトに憧れ、南京都高校(現・京都廣学館高校)でボクシングを始める。専修大学卒業後、2006年プロデビュー。2010年第65代日本バンタム級、2011年第29代WBC世界バンタム級の王座を獲得。「神の左」と称されるフィニッシュブローの左ストレートを武器に、日本歴代2位の12度の防衛を果たし、2018年に引退。現在、ボクシング解説者、アスリートタレントとして各種メディアで活躍。
プロ戦績:31戦27勝(19KO)2敗2分。
取材協力施設:Dクリニック東京
